奥能登の民話「猿鬼伝説」より出典

2024.06.17

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奥能登にある地名のいくつかは「漆」に関連性があると彦十蒔絵の主宰若宮隆志から聞かせれます!!
そんな伝説がもし本当だったら、、、と想像します。

これまでも口伝で伝わってきたから今の私たちが知ることになったでしょう〜〜
しかし、何もきっかけがなければ、伝説は人々へこれからも伝えわるでしょうか???
それで生まれたのがこの『鬼の漆掻き椀』です。

“猿鬼伝説”は奥能登に伝わる民話です、猿鬼が悪さをするので退治しようと弓矢で射るのですがその体は漆が塗られている為、弓矢が刺さらない、そこで漆が塗られていない目を狙い、ようやく当たったのでのこの地名が当目(とうめ)

そして血が黒くなって流れたので黒川という地名が残っている。
当目、黒川は輪島市の近く鳳珠郡柳田村の地名で、柳田村には“合鹿”(ごうろく)という村があり、室町時代から合鹿椀というお椀が存在している、また合鹿村は多々羅(たたら)とも呼ばれているので鉄を製造する村だったかもしれない。
猿鬼は多々羅、または漆掻きの職人と関係があったのかもしれないと考えると興味深い。

そして、今の鳳珠郡能登町にある合鹿椀ゆかりのお寺「福正寺」前のバス停の名前が「多々羅」となっている事も非常に興味深いです。