漆は縄文時代から・・・再生と蘇りを願う朱漆

2024.06.17

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神様へ祈りの儀式に縄文時代に朱塗の櫛を使われていたそうですよ〜〜

石川県の三引遺跡から発見された約7200年前の漆塗りの櫛の破片。
どうして漆で塗りましたか?

この櫛は石川県三引遺跡から発見された出土品の資料に基づき彦十蒔絵が作った櫛です。

祭祀で見られる玉串奉奠の時に使われる榊、太陽のイメージする「神鏡」など、光る物の中に神様が宿ると考えられていた。漆で塗られた物も光るので祭祀の器物には多く漆のものがあったと思われます。上の写真にある櫛はシャーマの黒髪に飾った櫛だと言われて、黒髪もまた光るものとして見られます。

では、どうして朱塗でしょうか?!
朱色の漆の顔料は辰砂である。辰砂の中には水銀が含まれていて、漆と混ぜると化学変化が起き、黒い漆が朱色になる、なんと不思議な反応。。。。そして、水銀は昔から復活と再生のシンボルとされているため、朱で塗られたお椀やぐい呑みで食べ物や飲料をいただくのは復活や再生の願いが叶うまたは祈りでもある。

そして、彦十蒔絵の「多々羅椀」(φ138mm×H76mm)はどのようにプロデュースされたのか?!
考案し始めてから完成するまで20年かかった大作なんです。
多々羅椀についての思い、彦十蒔絵の主宰ー若宮隆志がまとめた文章が下記となります。

(彦十蒔絵主宰 若宮隆志/ 2024年)
輪島の近くに柳田という村があります、そこには合鹿椀(ごうろくわん)と呼ばれる古い庶民のお椀があります民藝ブームで脚光を浴びました、今では制作する人はおりませんが古いお椀は福正寺というお寺さんで見ることができます、骨董屋さんでは1客50万円もの値段が付き輪島塗のルーツとも言われることもあります。 その福正寺の前のバス停が多々羅で、福正寺が多々羅御坊と呼ばれます。 山から木を切り出しお椀をつくる職人を轆轤師と言います、轆轤には木を削る金属の道具が必要になります、その道具は多々羅製鉄で造られます、その為多々羅職人と轆轤職人は近い関係にあると感じていました。
また、黒漆について親方から教わった本当の黒漆とは、玉鋼の酸化を利用して黒めた漆だと聞いています。
日本の製鉄方法で刀剣は多々羅製鉄によって造られた鉄(玉鋼)によって造られている。彦十蒔絵の多々羅椀の漆黒は多々羅の玉鋼の酸化によってできている。

ジブリの映画、もののけ姫を観て多々羅と山の生活が繋がり、アシタカの使っているお椀を作りたいと思いました。 アシタカは高足椀と呼ばれる合鹿椀そのものだと感じました。 敢えて理由をあげるとこのような様々な理由でたたら椀を制作いたしました。

私の実家は柳田に近く、祖父は以前から、合鹿椀、天狗椀、多々羅椀というお椀がある事を指摘していました、多々羅椀と呼ばれるお椀は見たことがありませんが、そのような経緯で「多々羅椀(たたら椀)」という名前をつけました。

【補足】朱漆について、 縄文時代から朱漆は特別な色とされてきました、朱漆の元にはベンガラと辰砂がありますが、辰砂は赤が鮮やかで血の色に近く更に水銀を含み、ヒ素の毒などに反応する為、殿様の盃に使われたと聞きます、また水銀朱には再生と復活の呪術的な意味が込められて神社の鳥居や盃は水銀朱(丹)に塗られるそうです。 辰砂は賢者の石とも呼ばれる。
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*令和2年3月6日
「多々羅椀(たたら椀)」(登録第6233167号)特許庁商標登録しました。